gallery_yoyaku.gif

title-introduction.gif

 大阪府枚方星丘という郊外の住宅地に(一財)星ヶ丘学園 星ヶ丘洋裁学校というところがあります。大阪、京都から京阪電車で3、40分、ちょうど真ん中辺りの枚方(ひらかた)駅まで行き、交野(かたの)線に乗り換え、2つ目の星ヶ丘駅から徒歩3、4分の丘の上にあります。昭和20年代に建てられた洋裁学校で、1,000坪の敷地に校舎などが当時のままに残されています。
 洋裁学校というのは、戦後、女性が技能を身に付け、自立するための教育機関として全国に作られました。しかし、それも時代と共に役目を終え、多くの洋裁学校が別のあり方を模索しながら生き残っているという状態です。星ヶ丘洋裁学校も90年代後半までほぼ閉校状態にありましたが、中山博之(前理事長)が両親の後を受け継ぐ形で、自ら手作業で壊れた校舎や荒れた庭などを修復し、洋裁教室、陶芸教室、ハーブの会などを、地域に密着する形で新たに活動を始めました。
 その後2002年4月に洋裁学校の裏庭に、小さな納屋を改装した喫茶「SEWING TABLE COFFEE」が開店することになりました。この裏庭には、仕事の納屋、花壇、また草原のようになってしまったテニスコート後もあります。木々に囲まれ、周囲の住宅街からはスポンと抜けるように、空も風も新鮮な季節の中にあります。
 SEWING TABLE COFFEEはマイペースで半年ほど営業を続けてきました。夏は暑く、やって来る人も少なかったのですが、それでも風通しだけはいいので、その心地好さを求めて、遠くからのリピーターもやってくるようになりました。また、喫茶の空間や庭の木々、草原を利用しての展覧会、演奏会なども、それまで以上に活発に行なうようになりました。こうした活動の中で、芽生えてきたのは、せっかく残されている環境をもっと有効に使う手立てはないものだろうかということでした。学校の教室や庭などをもっと利用し、新たな形で、学んだり、表現したりするような場所としても機能させることができるはずだということです。それは喫茶という場だけではなく、より開かれた場を作ることで、新しい表現や文化のあり方などを、ここで実験できるかもしれないということでもあります。
 そして、そうした内容を大きく網羅できるものとして計画されたのが、「SEWING GALLERY」というギャラリーをみんなで作ろうということでした。大きな教室を可動式の白いパネルで覆い、ギャラリー空間にして、誰でも自由に参加できて、参加者みんなで表現ということの可能性を考えたり、作品を展示したり、学んだりしながら、新たな環境なり文化をそこで育んでいこうという考えです。
 ギャラリーの基本構想は、自分なりの表現ということを実験、実践してみたいと思う人、誰でもが参加できて、誰でもが自由に展示することのできる場所です。また、様々な人が参加することによって、様々な交流が生まれる場として機能することです。そして、そこから作り上げるもの、発信するものが、これからの時代に必要とされる、個人の表現を通して語り合うことのできる柔らかなコミュニケーション文化だと思います。
 このような精神のもとギャラリー設立準備が始まったのが、2002年8月の事です。その後、SEWING GALLERYオリジナルTシャツをこのギャラリー構想に賛同してくださった方達(SEWING GALLERY MANIA)に購入して頂くことで、それをギャラリー設立・運営資金とすることができました。このSEWING GALLERY MANIAは全国から200名も集まりました。このギャラリーを応援してくださる方の多さに驚き、またこの場所の必要性も強く感じ、同時にこれからのギャラリー運営を進めることの自信にも繋がりました。その後の設立準備は星ヶ丘に集う人々によって進められ、ギャラリーの運営をするスタッフも9名になり、2002年11月19日にSEWING GALLERYはオープンすることになりました。
 その後、ギャラリーは誰でもが参加できる多人数参加の企画展を積極的に行い、もの作りや表現することの楽しさや意味などを、参加者が自らの手を動かすことで感じてもらえるような活動を行なってきました。また多くの作家が展覧会を開き、自然の囲まれたこの場所で自分なりの表現活動を展開していきました。その中には、初めて個展を行う方も多く、このギャラリーが目指す誰でもが表現を実践・実験できる場という在り方が着実に定着していると感じることができました。ここで個展をする作家や、展示を見て下さる方達、本当に多くの方がこの場所で交じり合い、様々なコミュニケーションが生まれていることは、大きな成果です。それはギャラリー構想にもあった、柔らかなコミュニケーション文化であり、次の何かを生み出すきっかけになっています。この活動を通じて、ギャラリー運営を中心に行っていたギャラリースタッフは、間近でそれを感じとり、それぞれが個展など作家活動を行うなど、独自の方向性を見つけることになりました。
 2007年、ギャラリー代表の中島恵雄がギャラリーの運営を2008年末までに一旦区切りをつけることを決め、同時にマニアの寄付による運営を終了することになりました。この6年の間には何百人もの人がギャラリーの活動に参加しそれ以上の人が訪れ、数多くのイベントやワークショップも開催するなど、星ヶ丘学園にとっても新しい風が吹き、信じられないようなできごともいくつも起こり、物語のような時間が生まれました。そしてそれは何より近くで見守ってきたギャラリースタッフにとってのかけがえのないものになりました。
 その後のギャラリーについてどうするかをスタッフ間、教室の場を借りていた星ヶ丘学園と話し合いをした結果、2009年より星ヶ丘学園が運営をするギャラリーとして、それまでのSEWING GALLERYの名前と精神をそのまま受け継ぐ形でギャラリーは存続することになりました。
 6年で一度区切りを向かえたギャラリーをこれからまた続けて行くということは、ただこれまでと同じようにやっていくことではなく、始めから考え直していく必要があります。ただ、これまで関わってきた人たちをなくしては存続は難しいと思っています。今後のギャラリーはこれまでの6年の間に暖かく見守ってきて下さった方達と、また、これから学園に訪れる方達と共に、そして、洋裁学校の一室にあるギャラリーとして広く物作りとしての洋裁に関わる活動を、学園と共に行っていきたいと考えています。星ヶ丘洋裁学校を中心に、SEWING TABLE COFFEE、陶芸教室、自然の会、ヌードデッサンの会、体操、手作りの会、そばの会、などが共に活動する星ヶ丘学園の中にあって、SEWING GALLERYはそれらを繋ぐ場所・訪れる人と人との出会いの場所として、またそこで生まれたものや集まったものを発信するなど様々な活動を続け、またこれまでと変わらず「誰にでももの作りはできる」という精神をもって、展覧会やイベントを開催していこうと考えています。

SEWING GALLERYの衣替えについて(2019年8月追記)

今年の4月から学園内にあるSEWING GALLERYを教室から和室に移動し、新しい雰囲気で再出発をしました。その経緯をご説明して今後の応援を願いたいと思います。

SEWING GALLERYの名付け親である永井宏さんは、2002年4月に学園内に発足したカフェーをSEWING TABLE COFFEEと名付けてくれました。その流れでその年の11月に学園にはSEWING GALLERYが発足しました。
その年は洋裁学校が再開校されてから5年目で、生徒数もやっと10名になり、継続が可能かなと細やかな望みの持てる年でした。洋裁教育を継続しようとの気持ちは変わりませんが、そのためには洋裁技術を教えるだけではなく、もう少し広い教育と地域の人達のために役立つ文化の提供が必要だと思いました。
そんな時に幅広い芸術活動をされている永井さんに巡り会えたものですから、立ちどころに意見がまとまり、空いていた洋裁教室をGallery に使えればということになりました。永井さんがよく言われる「誰にでも文章は書けるし、物は作れる」という考えは、学園のポリシーにピッタリだったことも大きな行動力になりました。
2002年11月、永井さんの考えに9名が賛同してSEWING GALLERYが発足し、中島恵雄さんを代表として学園とは独立した事業を開始しました。多くの人の作家活動を支援し、多くの人の出会いを作りました。この時期は世間一般にも素人向けのGallery が多く誕生しましたが、その先駆けの役目を果たせたと思っています
2009年1月にはSEWING GALLERYは学園の事業に吸収され、初期のメンバーの中西裕子さんを代表として運営しました。洋裁学校との連携を深めるため装廊というコーナーも設けられました。
2011年1月にはもう一人の初期メンバーの浜田久美子さんが代表となり、本人も含め多くの人の作家活動に貢献しました。
2013年1月には地元の画家である桂聖子さんが代表を務め、地元作家の発表に貢献しました。
2015年11月には地元若手作家である原田恵さんが代表となり、若手作家の活動を応援しました。
このようにSEWING GALLERYは星ヶ丘学園のポリシーである「自然に囲まれて 自分らしく 共に学ぶ」を実践し地域の人達との融和に貢献しました。このことを考えると、永井さんの「誰にでも文章は書けるし、物は作れる」という言葉の意味は、「どの人の表現でも、母が言葉の無い赤ん坊の気持ちを汲み取るように、汲み取れる」という意味も含まれているような気がします。

2019年4月、SEWING GALLERYは従来の教室から母屋の和室に引っ越しました。その最も大きな理由は、生徒数が増えたためにもう一つ教室がほしいということでした。GALLERY の存続も含め真剣な議論がされましたが、継続すべきだとする意見が多く、部屋の移動が実現しました。雰囲気が変わったことは大きな変化ですが、過去に装廊を企画したことも参考に、洋裁関連の展示にも力を入れることをこれからの目標にしたいと考えています。
今までの成果を大切にしつつ新しいSEWING GALLERYの発展に努めたいと思います。

和室と庭園を使ってゆっくり芸術に親しんで頂きたいと願っています。

皆様のこれからの積極的なご利用を、よろしくお願いします。

中山博之